あれから11年か
1999年に湘南方面で「ALMOND EYES」という店をやっていた。
セレクトショップというと聞こえはいいが、その実体は、L.A.のような、N.Y.
のような、メヒコのような、HAWAIIのような、韓国のような、印度のような、
バリ島のような、香港のような、タイのような、ジャマイカのような、70年代
のような、近未来のような、支離滅裂で、頓珍漢で、あべこべで、雑で、
ガッチャンガッチャンな店だった。
最初っから店をやりたかったのではなく、海外で買って来たモノや、趣味で
コレクトしてたものが飽和状態となり処分に困ったからというのが一番の
理由。かと言ってフリーマーケットは俺の性に合わないっていうか、面倒くさい。
そもそも17歳のときに山下公園でフリマの原型みたいなことをしてたしね。
で、そんなタイミングにダブルジョイのトニー萩野からテナント募集の話が
あって「家賃なしで売り上げのパーセントだけ渡せば良い」という条件だった
のでやってみることにした。
当時、昼はSGSという会社で検査員をやっていたけれど、CKBの活動も活発
になってたし、法人化はしてないけどダブルジョイ・レコーズも稼働してた
し、クレイジーケンレーシングのレース活動もあったし、ガーチャンと一緒に
やってたクレイジーケンスピードの経営もあった。だから、この当時の忙しさ
たるや想像を絶するもんがある。いくら今、忙しいって言ったって、この頃と
比べたら天国と地獄だ。
で、「ALMOND EYES」はナメた経営スタイルが仇となり、当然、永く続く
はずないんだけど、高校生の頃、ここでスタッフで働いていた愛子ちゃんが
後にCKBの重要な役割を担うようになったり、隣に立派なテナントを出して
た「BALANCE STREET WEAR」のアベちゃん(OG CLASSIX代表)とは
今もこうしてつきあいがあるし、なんつうか、縁っていうのは不思議なもんだ
なって思いましたね。
で、思うんだけど、こういった縁も含めて、だいたいのことはすべて想定外の
ところにありますね。なぜか、人生において重要なことほど想定外のところ
にある。自分らしさなんてもんに自分を縛りつけていたら、どんどん視野が
狭くなって、人生最高のキラーパスを逃していたかも知れない。
だから、現状(As Is Condition)に留まるのではなく、既得権益にブラ下がる
のではなく、賛否両論を恐れず、常に意識をMINT CONDITIONに設定しと
かなきゃって思うのであります。
Q:縁その弍の写真で〜
真ん中に写っているぅ〜
赤いスーツのぉ〜
超〜すてきなイケメンは
どなた様ですか?
も,も、もしかしたら…
正義の味方シンヤマン様っすか⁈
A:当たりです!!! アフロヘアにMARTINIのスーツがよく似合ってます!!!
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