ON MY RADIO
ラジオで音楽を聴く。
ラジオで音楽を知る。
ラジオで音楽にもってかれる。
俺が子供の頃はそれが当たり前だったけど、MUSIC VIDEOが台頭し始めた頃から、良くも悪くもちょっと変わった気がします。俺はラジオで育った人間なのでラジオの音が好きです。同じ楽曲でもラジオを通して聴くとなんとも言えない奥行き感がある。真夏の太陽を題材にした音楽であれば、その音の向こう側にちゃんと太陽と夏のざわめく質感がある。まさに書いて字の如くのSOUL電波です。ラジオはそのソースとなる実際の音源以上の
マジックと想像力をかき立てる魔法のエフェクターかも。いや、実際にコンプというエフェクターをかけているから音がメリメリに圧縮されて聴こえるというのもあるんですが、それだけが原因ではないような氣がします。
レコードやカセットがCDにとって代わり、さらに配信ダウンロードが主流にな
りつつある昨今、そのメディアの特性によって、楽曲もそのフォーマットに対応しうるものを要求されることがあるようです。例えば「歌詞カードなしでも言葉がわかるような歌詞を作れ!」みたいな。勿論、歌謡曲の時代から、大衆音楽の鉄則は「誰にでも分かりやすい」が基本だと俺も思いますので、それは否定しませんけど、昨今の状況はその理由が非常にしょぼ過ぎる。目先のことしか考えてない。そんな状況から名曲が生まれるわけがないと思います。俺から言わせてもらえば、歌詞が分からなくても、胸を鷲掴みにするエモーションがビンビンに伝わる音楽があることも忘れるな!と。人間には感受性というものがある。その感受性をもっともっと信用して欲しい。「分かりやすい」というのは決して、簡単とか単純ってことではない。マーヴィン・ゲイの「愛の行方」のようにどんなに複雑なコーラスが絡みあって、さらに複雑な背景やニュアンスが入り組んでいても、そこから放射されるソウルフルな信号が何よりもの明確なメッセージなのだ。そのメッセージの本質はどんなに英語が堪能な人にもそう簡単にひも解けるものではないかも知れないけれど、人間の感情というのは矛盾だらけで頓珍漢で複雑なものなのだ。複雑な感情を前に「こんぐらいでどうでしょう?」なんてイージーなものを出されたって、そんなもんが心を揺さぶることはない。信号を感受するセンサーの重用性を送り手側も受けて側ももっともっと大切にしてかなきゃ、
このままじゃ音楽はダメになる。FM YOKOHAMAでこうして番組を担当させて戴いてつくづくそう思うのであります。 MUSIQ ONE LUV!!!
とか、言いながらちゃっかりTシャツの宣伝だったりして。。。
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