楽曲制作について興味深い質問がありましたのでこれについて。
Q:曲を思いついた時ドラムでは再現不可能なトラックの場合はどう表現しますか?たとえば R&B、HIPHOPなどの打ち込みによる低音の効いたバスドラ、細かい複雑なパーカッション、打ち込みの無機質感。レコーディングでは問題なくても演奏の時再現するのにジレンマを感じることはないですか?
A:ちょっと長くなりますので、めんどくさかったらナナメ読みして下さい。ではお答えします。まったくジレンマはありません。例えば、脳内に鳴った音色が生ドラムじゃない場合は生ドラムでやらなければいいのです。それはCKBの過去の作品を聴いて頂ければわかるように、普通にソウルセットでの生ドラム(多数)もあれば、完全なる打ち込み(「Love Unlimited」「夏の谺」他)もあれば、打ち込みと生ドラムの並走(「AMANOGAWA」他)もあれば、ブレイク・ビーツと生ドラムの並走(「Summer People」「メリメリ」他)もあれば、生ドラムのループ(多数)もあれば、マニュアル演奏で音色のみサンプルをトリガー(「夜の境界線」「Sweet Seoul Tripper」他)したのもあれば、CKBのドラムトラックをセルフ・サンプリングしてループしたトラックもあるからです。とにかくレコーディングの時点ではまったく不自由がありません。普通のドラマーなら、そういったことに全く理解がなかったりするのですが、ことCKBのバンマス(廣石惠一)は、THE ROOTSのアミール“クエスト.・ラヴ”トンプソンがそうであるように、「リズム」という概念を大きな意味で捉えることのできるクレヴァーなドラマー/リズム・メイカーであり、こういったことに21年前からトライしていたのであります。
一方、ライヴでの演奏表現についてですが、これについては、米国のR&B、HIPHOPの音楽家がそうであるように、ライヴをDJセットのみでやる音楽家もいれば、DJセット+ソウルセット(生演奏)でやる音楽家もいれば、バンドの生演奏のみでやる音楽家もいるわけです。スプリングルーヴなどご覧頂ければ分かるように、その選択も発想も音楽家の自由であり、カニエ・ウエストのバンドなんて、DJセットとも、ソウルセットとも言いがたい、ユニークで型破りなハイブリッドなセットで、CD以上にアイデアてんこもりのサウンドでした。そこに「こうじゃなければいけない」という縛りなどありません。
勿論、DJセットでなければ表現できない楽曲があれば、DJセットでやるのが正しいので、そのような楽曲はDJイベントをオーガナイズした際にまわしたりもするのですが、それはそれであまりにもバッチリと型にハマり過ぎで物足りなかったりして、逆に音圧の弱い曲をミキサーでブースト圧上げてかけたりした方がプレイ的に楽しかったりするので、本当、人間の欲望というものは果てのないものでございやす。
CKBの場合、なかなか理解されにくいのですが、バンドと名がつくからといって「バンド」ということを言い訳にはしない音楽屋であり、「楽曲至上主義」を貫く以上、楽曲の特性によって、まるで同じバンドとは思えないセットでもプレイしますので、そこにジレンマなど生まれる余地がないのです。たまたま俺の個人的な趣味の問題で「ライヴではあまりサンプルを使いたくない」というのがあるし、「バスドラの風圧を感じながら歌いたい」というのがあるので、録音物の再現よりも、ライヴではライヴとしてのダイナミズムを表現したいので、多くの曲は「ライヴ仕様」にカスタムしてプレイされます。昔、レフトアイ存命の頃のTLCのライヴを観たとき、演奏はまったくの古典的バンドセットでしたが、これがまた、CDにはないエモーショナルでソウルフルな世界だったんで、これに感化されて「ライヴはナマが最高!」と思ったりもしたものでした。
逆にCKB以前にやっていたERDというバンドの頃は「ライヴはナマが最高!」という発想はなく、バンドにターンテーブルがあったり、ドラムにトリガーマイクを仕込んで色々なサンプル音源を鳴らしたりしていたのです。そういう実験的なバンドに対する世間の風当たりは冷たく、1988年当時、ライヴハウスでは「バンドのくせにターンテーブルなんか必要ないだろ!」と嫌われ、クラブ・フィールドでは「なんでバンドじゃなきゃ駄目なの?」と面倒くさがれました。しかし、その後、セルフコンテインド・ヒップホップ・バンド、THE ROOTSの登場でそういったハイブリッドな音楽表現が市民権を得て、CKBのような全方向型音楽にも居場所が与えられたようなもんです。
追加
「カニエのバンドに興味身心です。何で調べればわかりますか?」との事ですが、カニエ・ウエストのバック・バンドはレギュラーなのかイレギュラーなのか知りませんが、2回観たうち2回とも全く違う編成でした。1回目はバンドというより、DJセットにストリングスって感じでした。
さらに「HIPHOP方面でいえばスヌープドッグもバンドを率いてライブをする事がありますが個人的には演奏に関してはがっかりする事が多いです」という部分、これはどこにポイントを置いて聴くかの趣味の問題が大きいでしょう。サンプリングばりばりで、重低音ブリブリの録音物と同じ音圧や圧縮感や質感を生演奏に求めるのは非常に酷であると思われますが、生なのにCD以上に「それ」があるというバンドも稀にいます。というか、人間のやることなのでその日のバンドのコンディション、ヴァイブス、聴く者の聴力の特性にもよるので、同じ音に対する感じ方は人それぞれなので、評価が大きく異なるのでしょう。
あまりに長文過ぎて、要点ボケしちゃったかも知れませんが、これもまた言葉のスポーツというか、「理屈抜きに理屈が好き」(by近田春夫)なんで、ま、こんな感じでどうですか???
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